特集|京都 大原へ

宿泊したホテルから歩いて京都駅に向かう。日差しが強く、なんとなく気持ちがめげてくる。このまま帰社してもいいが、帰社したところでパソコンでの処理業務が待っているだけで、時間があると言ったらあるし、ないと言えばない。

京都駅に着き、大原行のバスが目に入る。大原は学生時代に一度行ったことがあるが、いい印象が残っている。時刻表を見ると、10時8分出発。今は10時2分。あるフレーズが頭をよぎる。「そうだ 京都、行こう」。こうなったら行くしかない。キャッチフレーズにやられたなと一人ほくそ笑み、バスに乗り込み、出発までのひとときをくつろぐ。

京都 大原へ

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悲しいかな、バスの中ではパソコン業務をせっせとこなし、ふと顔を上げると景色が一変していることに気付く。
緑が深い。心なしか市内を走っているときよりもスピードが速い(止まる頻度も少なくなっているような気がする)。

11時17分終点大原に到着。三千院に行くか寂光院に行くか・・・一瞬迷ったものの、三千院へ。「大原女の小径」と名付けられた道を歩きながら、三千院へと向かう。


「大原女(おおはらおんな)」とは露骨な名前だと思ったが、「大原女(おはらめ)」と読むことに気づき、自分の浅学を笑い、読む音が変わるだけで印象がコロッと変わる日本語の奥ゆかしさを楽しむ。

三千院から宝泉院へ。宝泉院は室町時代文亀二年とも江戸初期頃の建物とも言われているが、どちらにせよ、それらしい風格が漂っている。その宝泉院の庭には五葉松があり、部屋の中から庭の景色を楽しむことができる。5本の枝があるから五葉松と言われるらしいが、どう考えても4本である。きっと4本の内のどこかの1本を2本に数えるのだろうと勝手に思い、どれだろうかと思いつつも、5本でも4本でも、凛々しいことには変わりはない。どうでもいいやと思い直し、ただ庭を眺める。 

宝泉院の庭 五葉松

京都を旅する時に心掛けるのは、行きたいところ一か所を決め、それ以外の予定を立てないことだ。庭の景色も時間とともに変わり、ずっと眺め続けていればそのうつろいを楽しむことができる。それからもう一つ。たくさんの悩み事や考え事を持っていくこと。景色に触れながら、いろんなことを考えることができる。

京都 大原へ

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宝泉院にはいい風が吹いていた。気持ちの良いこの風をどう表現しようかと思ったら、頂いたパンフレットに書いてあるではないか。

この寺の 竹の枝間を うちこして
吹き来る風の 音の清さよ

「そう、これこれ」と便乗し、風を楽しむ。

見渡すと人がいない。かれこれ1時間くらい座っていたのかもしれない。こうなると好き放題である。畳に大の字で横になり、存分に風を楽しむ。心地よい風が足元を通り過ぎる。

宝泉院には血天井と言われる天井がある。関ケ原の前哨戦、伏見城での激闘で鳥井元忠が城を枕に自刃したことは有名だが、その天井を移設したものだ(鑑定までされている)。五葉松は700年生きているということだが、五葉松には人間がどのように映っているのであろうか。

中国人の観光客が来たところで、そそくさと宝泉院を後にし、歩きながらその余韻に浸る。

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大原女の小径を戻る途中で柴漬けを目にするが、昨日食べた粕漬がやけに塩っぽかったので自制し、代わりに大原の赤紫蘇を使ったソフトクリームを食べる。紫蘇の香りが鼻孔に漂い、おいしい。ソフトクリームを買うときはいつもミックスを頼んでしまうが、今回ばかりは紫蘇100%にしておくべきだったとちょっと悔やむ。

さらに大原女の小径を下ると、にしんそばの看板が目に入る。小腹がすいていたので店に入るも、かもなんばんをお願いする。にしんそばは4年に1度くらい、無性に食べたくなる時があるが、残念ながら今日ではなかった。

かもなんばんを食べながら昔のことを思い出す。京都の観光地でアルバイトをしていた時、お客から「一度も『ふうーふうー』しないで食べたよ」と嫌味を言われたが、観光地のそばで熱すぎるのも如何なものか(どちらでもいいことだが)。ここのかもなんばんもそんなに「ふうーふうー」することはなかったがうまかった。

13時44分、大原を後にし、京都駅へ向かう。バスの中でふと思う。最近何かとイライラしていたが、何にイライラしていたっけ︖ 静寂の時間はやっぱりいいものだ。

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