『一途に生きる』をテーマに画家の武本はる根氏に
インタビューを行いました。

interview 武本はる根

15年ほど前から佐鳴湖に近い浜松市富塚町に住む武本氏。
「あまり関心が払われてはいませんが、佐鳴湖の風景には目を見張るものがあります」
浜松と言えば浜名湖を思い浮かべる方が多いかもしれないが、
市街地近くの佐鳴湖にもそれだけの景色がある。

風景画家である武本氏は歩くことを日課としている。
様々な風景に触れることで、感性を高めていく。
「風景画は、自分がその風景に惚れることです。人間社会と同じで惚れる風景は
滅多にありませんが。それでもそれに出会うためにいつも歩いています」

武本氏は昭和14年2月生まれの77歳。創作意欲は未だ衰えない。
「私には絵しかありませんから」
インタビューの間、このフレーズが何度も出てくる。

中学までは体育と音楽、そして図工が大好きな、活発な少年だったという。
ところが17歳の時、結核を患い、そこから挫折の日々を送ることになる。大学に通う友人、笑い合っている友人を見かけると羨ましくなり、悔しくなり、その反動で自分を責めたそうだ。ただ、ぶらぶらと時間を持て余す自分、
何かやろうにも何もできない自分、そして体力が失われていく自分を憎んだ。

結局22歳の時に結核の手術を行うことになるが、この時大きな転機が訪れた。
入院中、何の気なしに窓越しの風景を眺めていると急に絵心が湧いてきたそうだ。

「絵を描こう」

将来が全く見えず、不安が渦巻いていた心の中に、一筋の光が差し込んだ。やっと生きる気持ちになれた瞬間だった。

そこからは試行錯誤の連続。絵が得意な少年だったとはいえ、誰かに師事したことはなかった。
だからこそ、夢中で描いた。25歳の時、はっきりと絵描きになりたいと思った。

「私は勉強が得意ではありませんでしたし、それに結核の影響で体力もありませんでした。
もちろん、このままただ生きていても何もありません。それならば一番好きなことで生きていこうと。絵しかないと腹をくくりました。当然ですが、当時、画廊との付き合いなどなく、何のつてもなく、うまくいかなれば、
乞食になる覚悟でした」と笑いながら言う。

両親や友人は大反対。「親はとうとう狂ったなと…。はたから見れば、ずぼらにしか見えなかったので
当然だと思います。でも不思議と不安はありませんでした」

しかし、今から思えば武本氏にとって、この頃が最もつらい時期だったという。
「もしできるなら、当時の自分に対してどんな言葉を掛けますか?」と聞いてみた。

武本氏はちょっと沈黙したのち、「そっと抱きしめてあげたい」

『不安がない』という言葉の奥深くに、悲しい強さを見た。

「若い頃は早春の風景が多かったが、最近は秋の風景、寒い冬に入る前の美しさを描くことが多いとのこと」「若い頃は早春の風景が多かったが、最近は秋の風景、寒い冬に入る前の美しさを描くことが多いとのこと」

「若い頃は早春の風景が多かったが、最近は秋の風景、寒い冬に入る前の美しさを描くことが多いとのこと」

「絵描きになるといっても収入はありませんので、絵画教室をする傍ら、喫茶店に絵をリースしながら生計を立てていました」 生計を立てたといっても、ほとんど収入がない。画材を仕入れるお金にも困り、描いた絵を画材屋に
預けて仕入れることもたびたびだった。それでも絵を描き続けた。「当時の絵を見ると、暗い絵が多いですね」
絵には内面や願望が出るという。

しかし、転機は突然訪れる。画材を仕入れるために預けた絵に画廊の目が留まった。
まったくの偶然だった。32歳の時、画廊から渡仏のチャンスを得る。夢中で描いた。描き続けた。
描いた絵を画廊に渡し、収入を得た。絵に専念できる時間を十分に味わった。

「初めて税金を支払ったときは本当にうれしかったです」
収入を得た喜び以上に、やっと社会に認められた感じがして、自信が持てたという。
「今から思えば、それまでは小さく歩いていましたね」

武本氏は独学で絵を学んだ。技術向上のために時間があれば書物や美術館を見て回り、自分なりの画法を手に入れ、磨き上げた。「私には何もありませんでしたが、それが良かったですね。師事した場合、どうしても師の影響を受けます。似たような形になり、自分の絵がなかなか描けません。
絵には才能が必要です。 ただ、それだけでは収入を得ることはできません。
人の3倍、4倍描き続ける情熱と探求心がなければ絵の世界ではやっていけません」

しかし絵の世界にも学歴はつきまとうという。「画家の経歴一覧を見ると面白いのですが、
必ずどこどこ卒というのが出てきます」武本氏は苦笑する。絵に学歴は関係ないはずだが、学歴は必ず紹介される。

「私には絵しかありませんから」

1980年「昭和会賞」

1980年「昭和会賞」

絵描きとしての原点である風景を描き続け、やがて社会的権威のある二紀会に初出品で入選した。
その後入選を繰り返し、場合によっては20年、30年掛かるところを10年で会友推挙され、会友推挙から わずか7年後に会員に推挙される。これは「絵描きとして飯を食える」一つの手形を得たことを意味する。

そんな折、大きく運命が変わる出来事が起きた。1980年「昭和会賞」を受賞したのだ。
これは文学の世界で言えば直木賞に値する。それまで所属団体の推薦があって初めて出展できたそのコンクールが、その年、推薦がなくても出展できるようになったのだ。武本氏は推薦がないまま出展し、見事に一番を勝ち取った。

「電話があった時にはまったく信じられませんでした。思わず主催者へ電話を掛け直したくらいです(笑)。
それからはガラッと、本当にガラッと変わりました」

ある方の言葉をふと思い出す。
『努力したからといって必ずしもうまくいくとは限りません。でも努力しなければ100%うまくいきません』

昭和会賞を契機に、描いた絵は次々に売れ、絵描きとしての人生を歩んでいく。絵描きとしての居場所を確立していく。

しかし、何かをきっかけに絵を描けなくなった知人たちを知っているせいか、順風満帆に見えても、
絵を描き続けていても、いつも不安はつきまとった。

「売れなければ乞食になるしかない」

明日が保証されない世界だからこそ、真摯に絵を描き続けた。

そんな中、バブルがはじけた。絵を取り巻く環境は大きな転機を迎え、状況は一変する。画廊が激減し、
絵が売れない時代に突入した。
「人間は絵がなくても生活ができます。普通に考えれば、絵は売れるものではありません。言い方を変えれば、
絵を描くことは無償の行為と言ってもいいくらいです。絵描きが生きていくには難しい世の中になりました」

武本氏を見出した画廊のように、以前は人を育てる雰囲気があったが、今はない。
武本氏は後輩に道を譲るべく二紀会を去った。

「プロである以上、技術は最低限必要なこと。日本画では竹内栖鳳氏、菱田春草氏、洋画ではアンドリュー・ワイエス氏に影響を受けた」「プロである以上、技術は最低限必要なこと。日本画では竹内栖鳳氏、菱田春草氏、洋画ではアンドリュー・ワイエス氏に影響を受けた」

「プロである以上、技術は最低限必要なこと。日本画では竹内栖鳳氏、菱田春草氏、洋画ではアンドリュー・ワイエス氏に影響を受けた」

「絵はいくら自分が良いと思っても皆に良いと言われなければダメです。
絵を見る側は自由に見ます、自分の好みで絵を見ます。だからこそ、描き手と見る側の好みがピタッと
合うのは本当に奇跡です」

先日、東京都あきる野市に住む方から電話があった。武本氏の絵を見て感動し、
思わず購入したが、その絵のモチーフに使われている景色を実際に見たいとの電話だった。
佐鳴湖の絵だった。小雨が降る中、誰一人いない佐鳴湖を、モチーフに使った一画を一緒に眺めた。

「絵はモチーフが大切です。目の前の風景をただ描くだけではだめです。自分が惚れこんだ風景を描くことです。
それに一つのモチーフを徹底的に追求する、狙っているポイントに集中することが大切です。
あれもこれもだと何も伝わりません」

音楽でいう作詞・作曲・編曲が絵にも当てはまり、色彩・空気・ポエジー(作詞)、風景の構図(作曲)、
そして感性に基づくアレンジ(編曲)工程によって、より高い領域へと導かれる。


しかし、いくら技術を磨いても、明日を保証されない絵描きの世界…、いつまでも不安がつきまとう。
絵描きは不安と苦しみの中でもがき続けるものなのかもしれない。それでも「若くして絵一本でやってきたので、
私には絵しかありません」と武本氏は言い切る。

それに「人との出会いは貴重です」と話す横に奥様の笑顔がある。
「苦労をともにできます」とお互いが確かめ合うように微笑みあう。

ある時、奥飛騨の風景を一緒に見たそうだ。雪に覆われた樹海が一面に広がり、二人とも心を奪われた。
「もし売れなくなったら…」 思わず武本氏から不安な言葉が口に出た。

「その時は樹海の奥深くへ一緒に行きましょう」

「絵を描くことは命懸け」だからこそ、苦労をともにできる存在がチカラになる。

武本氏は今も絵を描き続けている。
「100歳までは描き続けますよ」と笑いながら話す。今の夢は『静岡100景』を描くこと。
そしてその個展を開くこと。

「死ぬまで一生絵描きです」

一筋で生きるのは難しい。しかし「挫折」を何度も乗り越え、消えない「不安」を抱えつつも、
武本氏は今も絵を描き続けている。


武本氏とは偶然、ある会合でお会いしました。
雑談中、ふと話題に挙げたピカソの話から縁がつながり、今回お話を伺う機会に恵まれました。
終始穏やかに笑顔で話す武本氏ではありましたが、その内容は上記の通り。

ふと思い出した言葉あります。

「君看よや双眼の色 語らざれば憂いなきに似たり」

深い感情を背負っている方ほど、穏やかなのかもしれません。

しかし、アトリエは違いました。
普段はあまり人を入れないというアトリエに、特別にご案内いただきましたが、そこに足を踏み入れた瞬間、鋭
い空気を感じました。絵に向かっているときの命懸けの空気が漂っていました。

一途に生きる

社会が発展し、様々な選択肢があることが、一途に生きる環境を奪っているのかもしれません。
「これがダメなら、他がある」
それを繰り返すとそこには中途半端な自分と後悔する自分しかいないのかもしれません。

「もうダメだ」と思っても、目の前の壁に立ち向かい続ける勇気が大切なのかもしれません。

interview 武本はる根