essay 猫とそうじと生の声。

猫について書こうとするとき、その筆を執るほとんどの人が、自らの語彙力の無さに諦めてしまうのではないだろうか。
その愛らしさ、高慢さの前に抗える人類は恐らく存在しない。人類史が始まって以降、人々はこの存在についてありとあらゆる言葉で素晴らしさを讃えてきたが、完ぺきに表現できた者もまたいないだろう。香箱座りの安心しきった姿、自分の食べたいものだけを要求し無心に食べる仕草、起きない飼い主を踏みつける残酷な重み。それらを享受する幸運を書き表そうとし、言葉が見つけられず、3日ほど悶絶し、やがて静かに筆を置くより他に我々にできることはない。
そしてまた猫が大半を占拠するソファの隅に座り、つぶやくのである。

現代の言葉にそれを結実するならばただ一言、「尊い…」と。

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言うまでもなく、私もその一人である。
が、そんな猫と私の暮らしは、実はそれほど長くはない。
と言っても13年ほどになる。長くはない、とは「え︖昔からうちは猫がいるのが普通だけど︖」というこの世で最も幸運な人々と比較して、の話である。

多くのフラストレーションを抱える子どもたち同様、猫嫌いの母親がいた我が家にはもちろん猫との暮らしはおろか、話題の持ち込みも禁止。
何度か子猫様をお連れした際にも「もと居た場所に戻してきなさい」のテンプレ必至であった。

大人とはなんと理不尽なのか。このかわいらしさを見て何とも思わないのか︖
いつの日か、この美しい生き物と一緒に暮らしたい。一日中思う存分モフりたい…
この諦めることのできなかった些細にして困難な夢を、初任給で実現したのが猫との暮らしの始まりである。どうしてもどうしても、自分の力でそれを実現したかったのだ。
(尚、当時は親には還元していない。親不孝ここに極まれりだが、盗んだバイクで片っ端からねこあつめに走り 出さない大人になっただけでも大目に見ていただきたい。)

以来ずっとこの愛すべき存在の下僕であり続けている。想像通り、いやそれ以上に猫との暮らしは素晴らしい。
創造主があきらかに気合を入れて創ったとしか思えない。
実際にはそれほど、いやほとんど自由にモフらせてくれるような生き物ではなかったが。

それでよい。嫌ほど語りつくされたことであるが、犬は人間の友、猫は人間の主(あるじ)とは実によく言ったものである。猫好きにとってはその美しさに奉仕することのみが喜びなのである。不思議なもので、家屋そのものではなく、もはや猫のいるところが我が家、と感じるほどである。このあたりで大半の猫好きは首を縦に振りすぎて脳震盪を起こしていると思われるが、気にせず先に進もう。

神に最も愛された存在との暮らしはしかし、ある程度の悩みも存在する。
抜け毛の問題、である。
猫の毛は(種類によるが)犬のそれより軽く、細く、やわらかい。それゆえありとあらゆるところに飛散するのである。床、机などの家具はもちろん、部屋の隅々まで、ソファやマット、衣服など布という布は全てびっしりと猫の毛におおわれる。猫の毛だけは万有引力が作動していないのではないか︖と本気で思うほど、である。
1週間もすればフローリングに降り積もった毛でうっすら美しい雪化粧ならぬ毛化粧。
靴下で歩けば最後、足裏だけ肉厚なツートンソックスの出来上がり、である。
掃除機で吸えばいいじゃんと思われるかもしれないが、あまりにも入り込みすぎて取り切れない上に舞い上げてしまう。布製品は粘着テープで取ればある程度は対処できるが、絡まりすぎてめくりにくく無駄に枚数を食うばかりで、そのこと自体がつらくなる。
家を建てる時にも、とにかく「毛が落ちていても目立たない床や家具の色」「掃除のしやすい配置、素材」を最重要事項としたほどである。もはや何が人生の目的かわからなくなってきている。「猫は家につく」の言葉の真意は、実はここにあるのかもしれない…。

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大好きなものと一緒に暮らすこと。あきらめることはできない。手放すつもりもない。
とすればこれに逆らう術は一つ。こまめに掃除するしかない。
元も子もないこと言いだしたと思われるかもしれないが本当にそれしかないのだ。

だが長い猫暮らしの中で得た最も心を砕くべきことは、「完ぺきに掃除すること」ではない。
「いかにストレスなく掃除するか」、である。

何しろ敵は無限に現れる。
しかし共働き、フルタイム勤務である以上、そう一日何時間も掃除に時間を割くことはできない。いかにして短時間で、かつ作業自体が「ラクな」掃除ができるか。
これには道具の選択がとても重要になってくる。

幸いにもお掃除のメーカーに職を得たのは、まさに天啓というべきか。
あるいはこれもお猫様のシックスセンスのなせる業か。
とにかく本当に役立つ掃除道具に囲まれている今は、猫飼いとしてはまさに理想の環境だ。
手前みそではあるが、いつもお世話になっている掃除道具とその仕方を勝手に紹介したいと思う。

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掃除は上から。
まず家具やその他のものをハタキで軽く払いながら毛を落としていく。このときは力を入れず、ゆっくりとなでるように。色々と使ってみたが、ハタキの素材もふわふわで絡めとる系のものより、静電気で吸着するようなタイプがより望ましい。のちのち水洗いもでき、手入れが楽な解繊タイプが一番良いと思う。
当の猫本人ですら行かない高い場所にまでどうして降り積もっているんだ…と思うが挫けてはいけない。まだ始まったばかりなのだ。

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掃除機もかけるが、簡単に短い時間で。掃除しながら毛を舞い上がらせないことが大事だ。
最も役に立つのはドライシート。フローリングワイパーに取り付け、ゆっくりと床を滑らせる。
弊社のふんわりワイパーシート、これは本当によく取れる。厚手でしっかりしていて、毛羽立ったシートの表面が、見えないホコリまで集めてくるようだ。
自社製品だから誉めているんじゃないんですよ、奥さん、本当なんです。ちょっとゾッとするほど取れて逆に引くほどです。ペットとお暮しの方には本当に本当にぜひ試してみてほしいと常々思っていたので、この場を借りて。

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粘着テープは「らくるんめくるん」が大好きだ。
カット位置が斜めになっており、またカット位置に色がついているため、どこからめくるかがすぐにわかる。なにしろ一度の掃除で何度も何度も何度も何度も×∞使うのだ。
これを使うようになって明らかにストレスが減った。
家庭円満はらくるんがもたらしていると言っても過言ではないだろう。

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家具や家電のすき間に入り込んだ毛や、シュートされたおもちゃは「シートでスキマキーレー」で回収。
市販のワイパーシートを取り付けて、すき間を掃除することができる。
使い捨てシートが使えるという点がいかにもうれしい。なぜならたっぷりと入り込んでいる上、このようなすき間はペットの毛かカビかゴ…しか潜んでいないからだ。

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仕上げに床を水拭きする。取りこぼした毛を集めるためと、意外とついている猫の足跡を拭き取るためだ。
ウェットシートもあるが、この汚れはシートでは不十分に感じるので、フローリングワイパーに取り付けられるクロスや、簡単に洗える水拭きモップが便利だ。マイクロファイバーであれば皮脂汚れも取れてピカピカになる。
拭き終わったらサッと洗って干すだけ。手入れも簡単だ。

せっかくの良いアイテムを知っている社員の一人として、今回はどうしても紹介したいと思ったので、コラムにしたためてしまった。
しかしお掃除会社の、しかもペットを飼っている社員の生の声をお届けする機会も、そう滅多にないのではないだろうか。

掃除に限らず家事全般には「そのひとの基準」というものが存在する。
毎日新築の状態でなきゃイヤ︕という人から、食事ができるA4 サイズのスペースさえあればあとはフィギュアに囲まれてもよい、という人まで。

他人の基準は関係ない。本人、あるいは共に生活する人が、心地よく暮らせればよい。
それがその家の、家事の基準ではないかと思う。
そして暮らしの数だけ、それは存在する。

そんな「あなたのキレイ」に、寄り添う商品を創っていきたい。
そんな思いで、今日も時短掃除がもたらす時間で猫を撫でまわす日々である。

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